人生100年時代を生き抜く定年後シニア起業

2020年5月に、電子情報通信学会で「定年後も稼ぎ続ける技術者であるために」というお話をさせていただきました。

コロナ禍で、会場で行われるはずのシンポジウムがオンラインとなっての開催でしたが、100人以上の方が出席されていました。

このシンポジムに登壇させていただくきっかけは、その前にKDDI総研さんが発行した「人生100年時代の働き方戦略」というレポートで、私がシニア起業の経験者ということでのインタビューを受けていたことでした。

私自身が成功者ということよりも、定年後にシニア起業することが珍しかったのかもしれません。

しかし、今、そういう生き方を選択肢としたい人が増えているのかもしれません。

今回の電子情報通信学会でのセミナーを通して、多くの方が定年後の働き方、生き方について大いに関心があることが、あらためてわかりました。

自分は、ほんとうに運が良かったのかもしれませんが、60才で大企業での定年後、すぐに自分で事業を始めて何とか事業も軌道に乗っているところです。

実は、このセミナーで反響があったということで、これをキッカケにして、シニア起業を希望される方に起業に向けた準備の方法などを指導したりもしています。

自分の経験が多少なりとも役に立つなら、との思いもあります。

今日はここで、自分の思いを少し書いておくことにします。

シニア起業へのハードル

私は、日本人には珍しく60才までの間に五回の転職を経験しています。

途中、従業員数40人ほどの中小企業の雇われ社長もやったこともあります。

外資系企業に10年いて、純粋な日本企業では味わえないような経験もしました。

なので、会社を辞めて新しい世界に飛び込むことには、60歳時点でほとんど抵抗がない状態でした。

この辺りが、一つの会社で務め上げてきた人たちとは違いがあるかもしれません。

社会人になってから定年までずっと同じ会社にいた人が、定年で会社を離れることには大きな抵抗があるのだと思います。

なので、実際にほとんどの人が、再雇用という道を選ぶのだと思います。

でも、再雇用だって今は65才までというのがほとんどですよね。

時代が進んで、70才まではという声も挙がり始めてはいますが、どうなるかはわかりません。

65才で隠居生活に入るということが、現実的かどうかということですよね。

十分にお金もたまったし、あとはゆっくりと余生を過ごす、あるいは過ごせるという方はそれでも良しだと思います。

まだまだお金を稼がなければ、ゆとりなんて程遠い、という人は何かを考えなければいけません。

お金は何とかなるけど、まだ体は十分動けるのに、家でゴロゴロしていては、それが原因で早死にしてしまう、なんて考える人もいるかもしれません。

そうなんです。

65才は、隠居するには早すぎると私は思うのです。

だとしたら、皆さん、シニア起業しましょうよって話なのですが、なかなかそれにはハードルが高いようです。

どんなハードルかっていうと、

  • 何をやったらいいか?
  • 自分に何が出来るのか?
  • 実際どうやったらいいのか?

というようなことがわからない、ということなのですね。

実を言うと、私にも経験があります。

前述したように、一時、中小企業の雇われ社長をやってたことがあるのですが、個人的にこれで定年なんて気にせずに仕事が出来る、なんて甘い考えを持っていた時期があります。

ところが、その会社のオーナーとそりが合わなくなって、結局クビになってしまったのですが、その時私は53才でした。

どこかへ就職と考えても、年齢的に難しくもあり、いっそ起業でもと思いがよぎったものの、実際に何をやったらいいか、何が出来るか、どうやったらいいかが全く分からずに諦めました。

運よく、以前働いていた企業が戻ってこいと言ってくれて、そこで働かせてもらい、そこで定年を迎えることになったのです。

この時の経験が、すごく役にたったというか、60才になる前にどうするかを考えておかなければとの想いを持ち続けていることが出来ました。

そういう意味でも運が良かったのだと思います。

おっさん再生プログラム

雇われ社長をクビになってから勤めた会社では、手厚く扱っていただき、相当な重職を任せていただきました。

57才の役職定年も延長していただき、58才半年まで、責任あるポジションで仕事をさせていただいたので、それまではとにかく一所懸命に働いていました。

もしかしたら役員にでも、なんて色気もちょっとあり、そうなったら行けるところまで頑張ろうという想いで、定年後のことは頭の片隅に置いているだけで、具体的な準備は始めていなかったのです。

しかし、58才と半年、定年まであと1年半というところで、お役御免、つまりは役定扱いとなり、残りの時間をどこで働きたいかと聞かれたので、新規事業に関わるところで働かせてもらうことにしました。

ここから、私は完全にスイッチを切り替えて、起業準備に入ったのです。

部下もいなくなって、責任も極端にいうと自分一人ということになったので、仕事はそこそこ(ちゃんとやるべきことはやってましたよ)で、あとは自分のために時間を使うようになりました。

新規事業を進める部署で、私は「おっさん再生プログラム」という制度を会社に提案したのです。

当時、その企業で新規事業を立ち上げるために、ベンチャー企業への投資活動などもやっていたのですが、良いベンチャー企業に対して、金銭的な支援だけでなく、人的な支援をする、そこに企業内のシニア社員を当てたらどうかという考えです。

良い技術、優れたノウハウを持っているけど、会社の中ではあまり役に立っていない。

しかも、間もなく定年を迎える年齢でもある。

そういう人材が企業の外に出て、もし、そこで息を吹き返してくれれば、その人が生き返るだけでなく、会社もスムーズに若返りを図れてWin-winだと考えたのです。

人事部門は、微妙な立場でしたね。

本当に優秀な人は出したくない。優秀でない人に対して退職勧奨になてしまうと問題だ、などが背景でした。

会社のトップの反応は、まあやってみたら、という感じでした。

あまり大きく広げないで、まずは小さくやってみろということで、自分もこのプログラムの対象に入れ、かつ自分の人脈で数人の候補を選んで活動を始めました。

ベンチャーキャピタル一社、人事系の企業一社と組んで、大企業の現役シニアを活用したいという会社と実際のシニア社員とのマッチングをしたところ、私ともう一人のシニア社員に声がかかりました。

私は、その話から起業後のクライアントを獲得することが出来、もう一人のシニア社員も、その話がきっかけとなりしばらく後に会社を辞めて、その会社に転職しました。

この「おっさん再生プログラム」、自分でいうのもなんですが、企業にとっても(特に大企業)、企業のシニア社員にとっても非常に良い取り組みだと思います。

でも、私の退職後、誰も引き継ぐ人がいなくて、すぐに立ち消えになってしまいました。

人生100年時代に、シニアを活かして、大企業に埋もれている優秀な人材を流動化させるために、ぜひ参考にしていただけたらと思います。

シニア起業の準備

定年まで一年半というところから、私が考えたのは、週末起業でWeb英語教室を開くことでした。

40才の時に、英語が出来ない状況で外資系に転職し、10年間、英語と格闘しながらなんとかビジネスで使える英語をモノにした経験を生かそうと思ったのです。

実際に、現役時代に始業前の時間を使って希望する部下たちに英語を教えていたことも背景にありました。

自分の強みは、英語が出来ない日本人が、どうやったら英語をモノに出来るかということを身をもって知っているということと考えたのです。

この事業を始めるために、私がまず始めたのは、Web制作です。

これからの時代は、Webを扱えないとダメだという考えもありました。

ワードプレスでホームページ作成をやるために、本を一冊購入して、平日の勤務後、土日を使って一所懸命に勉強しました。

何かを作ったりするのは、昔から大好きだったので、結構、のめり込んでやりました。

初めて2か月後には、一通り、色々と問題はあるものの、とりあえずホームページを作り上げることが出来るようになっていました。

並行して、実際に起業をするために必要な手続きなども本で勉強しました。

まず、まだ一年半は会社に勤めるのではあるけど、個人事業主としての活動は出来るはずと、準備を始めて1か月後には個人事業主としての届け出を済ませて、個人のお金と個人事業としてのお金の管理をするようになりました。

このあたり、一つひとつは小さなことなのですが、今となっては、すべてがその後の起業に役立ってます。

英語塾の事業は、実は大失敗でした。

でも、この経験も本当に今、役立っています。

英語塾は、役定になって起業準備を始めてから約5か月で、Webページを立ち上げて集客活動を始めました。

この集客というのが、実は本当に大変だということを身をもって実体験することが出来たということなんです。

しかも、その時には私はまだ大企業で働いていて、お給料ももらっていたので、事業の失敗は金銭的にはまったく問題ありませんでした。

つまり、リスク回避として、週末起業は非常に有効だったのです。

事業開始から半年、起業準備から約一年で英語塾事業から撤退し、以前から先輩に誘われていたコンサル事業の準備を始めました。

定年まであと半年ということろです。

実を言うと、起業準備を始めるときから、最後は先輩に教わりながらコンサルタントとして起業することは想定済みでした。

英語塾は、これで成功すれば柱を2本持てるというちょっとズルい考えもあってのことでした。

コンサルの内容は製品開発に関するもので、先輩はトヨタのリーン製品開発手法を学んでいらして、それを私が製品開発組織の管理職をしていたときにすでに教えてくださっていたのです。

この先輩は、元々は生産技術系の専門家だったので、製品開発についてはむしろ私の方が専門領域ではあったのですが、先輩はすでに事業を始められていたり、本を出版されていたりしていたのです。

先輩の紹介で、海外のネットワークにも参加させていただき、定年までの間に、海外でのセミナーやシンポジウムでの登壇をさせていただくことになりました。

有給休暇を使って、先輩がクライアントで指導する姿を実際に見せてもらったり、クライアントさんとのミーティングで発言させて頂いたりして、コンサルタントとしての準備もすることが出来ました。

7月末で定年退職という状態で、その年の5月1日に自分の会社(フュチャーシップ株式会社)を設立したのです。

ちょっとフライングですね。

私がいた会社は基本は副業禁止だったので、正確には違反なのですが、ばれるころには会社にいないので、強引に進めることにしたのです。

というのも、先輩の支援もあって、退職前に少ないながらも売り上げやお金のやりとりが発生していたこともあり、また、会社設立の手続きも対処してからやるとそこに時間を取られてしまうので、会社にいるうちにやってしまえ、みたいなノリもあったかもしれません。

結果的に会社勤めをしながらの起業準備は色々な意味で大正解だったと思っています。

特に、コンサルタントとして自分のコンテンツをしっかりと準備できたこと、見習いのような形でデビューできたことは、本当に幸運でした。

でも、このような幸運も、自分が何かを始めるという「行動」を起こしたからこそ得られたのではないかと今では思っています。

まず、一歩を踏み出すこと。

これが一番大事だと思います。

参考記事:「定年後も稼ぎ続けるための助走方法

実は誰でも持っているキラーコンテンツ

私の持論ですが、すべての人が独自のキラーコンテンツをもともと持っているのだと思っています。

もちろん、人生をまっとうに歩んできたということが条件ではありますが。

でも、多くの人がそれに気づいていないのだと私は思っています。

自分のことって、意外と自分ではわからないものです。

私も、製品開発の専門家としてコンサルをやっていますが、やりながら自分の持っている強みを新たに発見することがあります。

人に教えながら、教えてもらうこともたくさんあります。

参考記事:「教えることで教わることがたくさんある

自分独自のコンテンツを発見するためには、自分のことを客観的に見なすことと、今まで知らなかったよその世界を知ることです。

自分のいた世界が如何に狭い世界なのか、そこだけの価値観で自分が長居しすぎたのではないかと、気づくことが大事なんです。

そして自分が学んできたこと、自分の中ではほぼ常識なのではないかと思うことが、実は世の中でとても役に立つことだと気づくことなんです。

私は、「自分の棚卸し」をやることを勧めています。

棚卸しの仕方もじつは指導したりもしています。

繰り返しますが、人生100年時代、もう一度定年後の自分の生き方を考えるなら、まず、何か行動を起こすこと。

そして、自分の棚多しをして、自分独自のコンテンツを見つけ、それを育てながら実際に仕事をしていくことです。

参考記事:「シニア技術者 再生の手引書

2020年に、シニア起業を目指す人を支援する育成プログラムを始めました。

無料セミナーには、随分とたくさんの人に参加いただきました。

その後に、本気の有料プログラムを提供し、これまで3人の方に受講いただきました。

一人の方は、すでにコンサルタントとして独立されています。

もう一人の方は、一年半ほどの準備期間を経て、まもなく独立されます。

なんとかなるものですね。

「シニア起業準備セミナー」というのを今でも一応かんばんは出しています。(2022年9月に辞めました。)

あまり積極的にはPRしてなくて、要望があれば個人レッスンのような形でやっています。

私も、起業してからですが、Webを使った集客やコンサル業で成功するための短期スクールなどにも通っていました。

その時のノウハウを含め、更に自分の経験をもとにした私独自のノウハウを含めて育成コンテンツとしてまとめたものがあり、それを提供しています。

おそらく、このようなスクールに行くと、いまだと3か月6~8回くらいの講座で50万円くらいはかかると思います。

私は、その半額以下でプログラムを提供しています。

もし興味があれば、コンタクトしてください。

投稿者プロフィール

賀門 宏一製品開発革新のプロパートナー
フューチャーシップ(株) 代表取締役
技術者のキャリアアップ請負人。日米複数の製造業で製品開発現場30年以上の経験、エンジニア育成の経験をもとに、エンジニアの活性化を通して日本企業の再生を目指し奔走中。
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